コンテキストとオープン化に向かうWEBのジレンマ
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最終更新日:2013/11/29
日記
ここ数年でコンテキストとオープン化というキーワードが気になっている。セマンティックというキーワードをはじめて聞いたのはたしか2007年だか2008年だったと思う。こんな未来が来たらいいなと思いつつ、きっと近い未来には来るんだろうなと予想していた。
そして昨年2011年、Facebookがブレイクした。こんなに流行るなんて思わなかった、と思うくらい流行った。今ではやらない人はいないんじゃないかと思うくらいの様相を呈している。facebookがセマンティックWEBの始まりだと考えたのは、このあたりだったと思います。(あれからあまりセマンティックの方には進んでないように見えるのですが、どうなんでしょうか。)
「WEBのコミュニティ」は2ちゃんが皮切りだったと思う。Yahooなどのポータルや、MSNチャット部屋などもあったけど、まだソーシャルネットワークと言われるほど伝播力が無かっただろう。2ちゃんの認知度が上がり、メジャーになるにつれ、情報が「オープン化」してきたのは肌で感じた。良くも悪くも、虚も実も、これまで隠匿されてきた情報は、巨大匿名掲示板にさらされることになった。「あの会社はブラックだ」「芸能人○○はxxxと付き合っている」など。これは雑誌やテレビなどと並ぶ、一つのメディアとして認知されていい現象だと思う。それが証拠にテレビの特集すら2ちゃん発祥のものがあったり(泣ける2ちゃん)、ねらーと言われる芸能人が出て来た。
Wikileaksが話題になったときは、かなり衝撃的だった。もっとも衝撃的だったのは、2010年4月の、イラク戦争の民間人殺傷動画の公開だろう。この動画はイラク戦争が間違っていたと思わせるに十分な証拠になっていたと思う。
包み隠された真実を突きつけられることは、時として痛みを伴う。知りたくないこと、耳の痛いこと、心をえぐられる真実。だから一部の人は言う。「知らないほうがいいこともある。」そうして真実は闇に葬られる場合も存在してきた。
だが、オープン化の流れは止めることはできないだろう。何が本当なのか?実際はどうだったのか?私たちは本当のことを知りたいと望み、そのために行動するようになった。これまでのように一部のマスメディアや政治家による報道だけでなく、自分たちから情報を収集するようになった。そして自分たちで真実を判断するようになった。たぶん言っていい。これは社会改革だ。
日本の文化はハイ・コンテキストだと言われる。同一民族から成り、島国という地理的な土壌になる国家というのも理由の一つだ。ハイコンテキストであるということは、ある種「空気を読む」ことを強要されるということである。
これはどういうことかと考えると、、、?リアルがセマンティックワールドであるととらえることができそうだ。つまり物事の裏側に文脈が広がっていて、それは表面化せず不文律化している。表面化しないながらも確かに存在はしていて、存在することが共通認識になっている。
WEBはリアルワールドの反映だと仮定すると、きっとこの不文律はWEBにも現れてくるだろう。Facebookのソーシャルグラフはきっとリアルワールドの反映である不文律の呼び名なんだと思う。そしてこの不文律は、今後いたるところに名前を変えて出現すると思う。
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