パーソナルとパブリック
去年くらいまで「個人の趣向や考え方は仕事に影響しない」という持論がありました。
どういうことかというと、例え人がどんな思想を持っていても、それと仕事とは関係ないということです。
例えば自分がある宗教にひどく傾倒しているとしましょう。もしそうだとしても、仕事さえきちんとこなしていれば、周りから非難を浴びるようなことは無いし、周りにも迷惑をかけないという考え方でした。
しかし1年前、あることがきっかけで個人的な価値観や振る舞いが仕事に影響を及ぼした事例を目の当たりにする出来事がありました。
そのときから「個人は個人としてあると同時に、社会の公人としても存在している」と考え方を改め始めたのです。
そして2011年の今年。
facebook元年。ソーシャルメディアはますます隆盛を見せています。
ツイッター、facebook、mixi、Google+、ブログ・・・・。
今まで知ろうとしても知ることができなかった人の考え方や行動がリーチャブルになっています。
有名企業の社長の一言や、芸能人の行動、そしてこのブログのように自分の考え方もパブリックに表明することができるようになっています。
そういう意味で言えば、facebookやtwitterなどに掲載されたらすでにパブリックなわけです。
とても分かりやすいのが「まんべくん」の事例。
自分はあの事例を、パブリックとパーソナルのパーテーションが無くなってしまった例だと認識しています。(パーソナルの中の人と、パブリックの長万部町、という意味で。)
この事例の他にも、ホテルの従業員が芸能人の目撃情報をツイートしたり、韓流批判をして炎上したり、原発批判したツイートをお気に入りにしていてそれが問題化したり、最近のソーシャルメディアのニュースは毎日のように耳にします。
佐賀県知事の「お気に入り」、話題になり削除
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110913-OYT1T00910.htm
これは、WEB自体ができて間もないメディアであり、パーソナルとパブリックの定義がされていないということが原因のように思えます。(これまではされる必要がなかった)
現代社会では、完全に自分1人で社会生活を送ることは不可能です。
ソーシャルメディアが当たり前になった今では、なおさら個人の真摯さが問われます。
それだけに社会の1人、公人(パブリック)として振舞うことが要求されるのです。
ただしそれはルールでがんじがらめにするように、制約をつけるのではなく、ある一定の基準を作ってその中で自由に運用するような、(サイトで言えばサイトポリシー)そんな意識でソーシャルメディアを楽しんで活かしていければいいんじゃないかと思います。
追伸。
久しぶりにPCでブログを書きました。やっぱりipadより全然やりやすいですね。
Google AD
- 前の記事
- プロセスが大切な訳
- 次の記事
- 慮ることと真実を明らかにすること
関連記事
-
-
自分の非を認める。傍観者は気にしない。
今回のプロジェクトは、結果的にはうまく行ったとは言えませんでした。個人的には「何とかなった」
-
-
人はかくも弱き生き物
首都圏でも地震が起こる、という予測が出たようです。 日本首都圏、4年以内に大地震発生の可能
-
-
Digitalization is
http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20101222/12929
-
-
忘れなくても人は生きていける
「人は忘れるから生きていける」 と、したり顔の彼は言った。 他人を見下した、いけ好かない奴
-
-
できることは限られているのか
尊敬する人は尊敬した態度を、そうでない人にはそうでない態度をとります。誰にでも分け隔てなく、なんて聖
-
-
【実録】あるプロジェクトで痛みを知り、それを通して得た教訓【認められるには?】
以前のエントリーで 嫌われている人から好かれようと思わなくていいんだという件 嫌
-
-
嫌われている人から好かれようと思わなくていいんだという件
自分用にちょっとしたライフハックに気づいたので、リマインダーとしてエントリー。 それは「嫌
-
-
コミュニケーション能力について4
これまでこのブログでも「コミュニケーション能力」については何度もエントリーしてきました。
-
-
GoogleがDEEPMINDを買収したことと人間の未来についての感想
スマートコンタクトレンズ開発を発表したりして何かと話題のGoogleさんから、また企業を買収
-
-
組織を作っているもの
去年からWEB制作のPMをさせてもらっていて、クライアントで常駐しているうちに、今回クライア

RSS