慮ることと真実を明らかにすること
今日ネットで見たコラムにびっくりさせられた。
大臣の失言と裏を読みたがる人々:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110915/222654/?P=1
タイトルを読んだときの意味不明感そのままに、文章中の「ウェブにぶらさがっている人間たち」にも口をあんぐりさせられた。このライターは何の媒体に記事を掲載しているのかと。
もしウェブを見ている人が対象なら、やめればいいんじゃないかと。(この記事を見てる人も「ウェブにぶら下がっている人達」だろうから。)
「ニュースをウェブで見る人達=若い人達」という考え方ももはや過去のものだし、ニュースをウェブで見ることがそれほど特異ではなくなっている一般感覚、現実を知らないのだろうか?
その裏づけとして新聞の発行部数は減少傾向にある。それが何より真実を物語っている。
その真実を受け取りたかろうが受け取りたくなかろうが、真実は真実だ。変えようがない。(隠しようはある。)
http://www.garbagenews.net/archives/1649104.html
何よりこの記事の困ったところは、既存の新聞を崇め奉っているところだ。既存メディアである新聞を、何故そんなに神聖視しているのだろうか。新聞の発行部数の減少を止めたいのだろうか。
新聞の発行部数が減少し、ネットでニュースを閲覧する人が増加している。それがこの資本主義の自然淘汰システムの結果だということが許容できないのだろうか。
上記サイトのグラフから見ると、緩やかに減少しているものの、それほど極端に新聞の発行部数が減っているわけではないことが分かる。一方ネットはスマホなどの影響で爆発的に通信料が増加している。
ということは、新聞も購読していてニュースサイトも見る、という人がいるということだ。その人達が「新聞じゃなくてネットニュースでいいや」という判断をし、それが多数を占めていればその方向性に進む。それが民主主義じゃないのか。資本主義というものじゃないのか。
それでも黙って新聞を読めというなら、きっと過去の呪縛に囚われているのだろう。洗脳が抜けないのだろう。「お前たちは真実など、知る必要がない。俺たちは絶対的な情報だ。間違いなどない」と。
9.11でもわかったように、3.11でも分かったように、過去の全ての歴史が教えているように「絶対」はない。絶対にバブル経済が続くとか、絶対に徳川幕府が滅びないとか、絶対に関東に大震災が来ないとか、そういうことは誰にも言えないはずだ。だから新聞はこれまでは絶対的に正しかったとしても、今も正しいとか、これからも神だとかいうことは「絶対に」ない。
ここまでで自分が言っているのは、鉢呂元大臣の発言の内容ではない。僕らは「真実が知りたい」ということだ。言ったのか、言っていないのか。やったのかやっていないのか。それだけなんだ。
過去のブログ記事より:
http://rainy4649.blogspot.com/2010/12/wikileaks.html
でも言っているのか言っていないのか分からないまま、大臣職を辞任された。その、真実が闇に葬られている点を、僕らは許せないんだ。これまでは揉み消されていたであろう事件でも、今からはそうはさせられない。
これまで情報という意味では一方的に餌をもらうだけの弱者だった個人は、WEBという安くて最強の武器を手に入れた。個人や世界のネットワークを全てデータベースにでき、かつ、リアルタイムで全世界に発信できる。ソーシャルネットワークがこれまでになく注目を集めているのもそうした理由が一つあると思う。
ウィキリークスはアメリカがイラクで無差別に市民を虐殺している映像があることを、全世界に発信した。
もしWEBがなかったら、僕はこの事件を知らなかった。アメリカはたぶん公表しなかった。不都合な真実は闇に葬られていた。
これまでカバー(cover)で覆われていた真実を、取る(dis)のがdiscoverだと、中学の英語の先生に教えてもらった。いまだにそれを覚えてるよ。
疑ってかかることがリテラシーだとする卑しい人間観がわれわれを毒していくことになるのだろう。
この考え方からすると、何もかも与えられた情報を丸呑みするのが正しくて清潔で高貴な人間観だということになる。果たしてそうなんだろうか。
真実を隠蔽することと、人の気持ちを慮って敢えて本当のことを言わないということは、違うことだ。
たとえ、職を転々として、下らない上に人の神経を逆撫でする記事を毎回毎回書いていたとしても、本人の前でそれを言わない。それは人の気持ちを慮っているから。
でもその人が職を転々としていることは消そうとしても消えない事実だし、アンケートをとって面白くないと答える人が多ければやっぱりその記事は面白くないという真実が出る。その情報を知りたいという人達に、その情報を公開しないことを隠蔽というんじゃないだろうか。それとも、真実を知ることは罪なんだろうか、真実は下民にとって高貴すぎるものなんだろうか、過去の伝統がなじみ過ぎていて今の社会情勢に適応できないんだろうか。
真実を隠そうとするから、知りたいと思う。でも知りえない。だから色々な説が飛ぶ。人間の自然な行動であり、結果だと思う。
来週は明るい話題が見つかると良いな(笑)
真実には目をそむける。明るい話題だけを求める。
そんな平和ボケした人は、世界に影を落とす深刻な問題をどう考えているんだろうか。
そんな寝ボケた人がライターで飯を食っていけるほど、世の中は甘いんだろうか。
毛皮がどうやって作られるかとか、チョコレートの原料を作ってる人がどんな暮らしをしているかとか、フォアグラがどうやって作られるかとか、屠殺場の中でどんな工程を経て食肉が作られているかとか、死刑執行がどうやって行われるかとか、中世ヨーロッパではどんな拷問が行われていたかとか、1940年代アメリカがどんな人体実験をやっていたかとか、スーダンで女性が虐げられている現状とか、チベット人に行った中国人の拷問とか。救いようのない貧困格差とか。
そんな真実には目をそむける。
問題から目をそむける。
そんな人に明るい未来があるんだろうか。
あるとしたら、いったい何のために歴史や道徳や社会の授業があったんだろう。
20年前の平和ボケの洗脳頭を持つ人達が、早く淘汰される時代が来るといいな(笑)
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