嫌われている人から好かれようと思わなくていいんだという件
自分用にちょっとしたライフハックに気づいたので、リマインダーとしてエントリー。
それは「嫌われている人から好かれようと思わなくていい」ということ。
この場合は「複数の第三者から嫌われている人」ではなく、第一人称の自分を嫌っている人の事。
その人に好かれようと自分の態度を変えて相手に合わせるのも疲れるし(社会にはこんな状況よくありますけどね)、ましてや好かれていない人を自分から好きになる必要はない、ということ(好きになれたらなお結構です)。
ここで勘違いしてはいけないのは、自分のことを嫌いな人を嫌ってもいい、ということではない、ということ。
あくまでも飄々としてごく自然に、何の感情も持たずに振る舞えばいいってこと。
嫌いなものを好きになることなんて精神衛生的にもよくないだろうし、気にするだけ無駄だからね。
私の事を嫌いな人は、外野、もっと言うと「自分にとっていてもいなくてもいい存在」だってことです。
(忠告等はよく聞いておきましょう。)
差支えなければ完全に無視してもいいし、気にしなくていいでしょう。
もちろん嫌われているより好かれている方がずっといいけど、人間だから「どうも虫が好かない」とか、「あの人は何となく苦手」という感覚があり得ます。それは論理的に説明できるわけでなくて、どこまで行っても「感覚」として「何となく」ということになります。
だから「理解」はできるけど「納得」はできません。そもそもそれは変えようがない、という結論です。
だから逆立ちしたって変えようがないことに心を悩ませてないで、そのことはスッパリと諦めて、違う人とと良い関係を築いた方がよっぽど建設的だっていう話なのです。
くれぐれも言いますが、「無理やり好きになる必要はない」だけであって、わざと嫌われるようなことをしてはいけません。
そんなことに時間を使うのは無駄だから、気にしなくていいってことです。
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