ソロモン流に出演していた滝川クリステルさんを観た感想
昨日テレビ東京系で放映していた『ソロモン流』を観ました。
出演していたのは「お・も・て・な・し」で脚光を浴びた滝川クリステルさんでした。
ソロモン流【賢人:滝川クリステル】
http://www.tv-tokyo.co.jp/program/detail/17757_201403232154.html
個人的に大好きというほど好きな訳ではなかったのですが、時間があったので何となく見ていました。
滝川クリステルさんは動物の殺処分という過酷な現実が日本で実際に行われていることを知り、動物愛護運動をはじめたそうです。
現在は殺処分ゼロを目指して「プロジェクトゼロ」という運動を展開し、環境省に働きかけるなど積極的な活動をしているとのことです。
滝川クリステルオフィシャルブログ
http://ameblo.jp/takigawa-christel/entry-11802352647.html
で、今回は滝川クリステル素晴らしい!さすが!良い人!ということが言いたい訳では無く、番組内で本人が言っていた言葉が心に残ったので紹介したいと思いました。
「私は(動物の殺処分という)真実を知ってしまったので、それを伝える責任がある」
この言葉には背筋が伸びる思いがしました。
真実から目を背ける人や、見て見ぬふりをする人、知ってもそれだけで終わる人。
もちろん皆が皆、真実を伝える活動に参加することは難しいことだということは分かります。
それぞれの立場や自分のできることの範囲を考えると、必然的にできる人は限られてくるかもしれません。
それでも一歩を踏み出す、その行動自体にとてつもない意義があると感じます。
自分にもドキュメンタリーにかぶれた時期があって、世界の不条理とか不平等を許せないという気持ちがありました。
ブログでそのことを糾弾して少しでも真実を知ってもらい、何かの一歩を踏み出せればと考えていました。
でも反応は芳しいものではありませんでした。
だいたい怪訝な表情をされるか、露骨に嫌そうな顔をされることもあります。
そういう思想的・倫理的に重い話題は疎ましがられ、避けられる傾向にあります。
なぜか?・・・見ない方が、聞かない方が、考えない方が楽だからです。
周りの皆と同じように、波風立てない方が面倒が無くていいからです。
特に最近は周りの皆と同じように「空気を読む」ということが美徳とされているように思います。
そんな風潮の中、自分の頭で考え、周りの人とは違う行動を取ることはとても勇気が要ることだと思います。
そういう意味では滝クリさんは勇気のある人だと思います。
世間的に良い行動を起こしたということ自体よりも、そういうヘビーな問題から目をそむけず、社会に対して行動を起こしたという勇気が素晴らしいと思いました。
滝クリさんはもっと華奢で世間知らずな人だと、勝手に思ってました。
というか、女子アナというと、もっとライトな話題をして、トレンディー(私語)な考え方をする方が多いのかと想像していました。
今回TVを見てそういう自分の固定概念を、いい意味で崩された気がします。
「女子アナは重い話題には触れないだろう」というのは、自分の勝手なイメージでしかなかったんですね。
自分にももっと多くの人に知ってほしい問題があります。
動物の殺処分もそうですが、その他にも児童の強制労働の話や、国家の歴史的な犯罪、差別・偏見の話など。
そういったことに対して、少しでも誰かに伝える勇気を持つことができればと思いました。
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